2018/12/02(日)

この業界にはない、全く新しい働き方  山野井 孝志

From 山野井孝志
淡路島のホテルより、、、

 

 

僕の名前は
山野井孝志です。

 

 

柔道整復師で
現在32才です。

 

 

この
株式会社藤井翔悟事務所に入って

 

 

1年半から2年くらい
経ちました。

 

 

今現在は

 

 

日本体療協会の
事業部長をしています。

 

 

ここに来るまでの道のりは長く
セラピストになって11年目です。

 

 

すごくいろんなことが
ありました。

 

 

まず柔道整復師に
なったきっかけは

 

 

自分の怪我でした。

 

 

高校の時、空手の飛び蹴りで
左の手首を骨折しました。

 

 

そこで
病院に行きました。

 

 

その病院の処置で

 

 

手首の骨折なのに
腕の半分近くまで
ギブスで固定されたんです。

 

 

なんでそんなとこまで
ギブスをするのか。

 

 

まずそこで
イラっとしました。

 

 

で2週間たって
我慢できなくなり
近くの接骨院に行きました。

 

 

ギブスを切ってもらい
違う固定をしました。

 

 

それから2週間くらいたって
今度は無性に手首が
痛くなってきたんです。

 

 

もう骨はくっついてる。

 

 

でも
折ったところが痛い。

 

 

それを接骨院の先生に
言ったわけです。

 

 

そしたら一瞬
先生が手首をいじると
僕の痛みが消えたんです。

 

 

お、これなんだと思って
いろいろ話を聞きました。

 

 

そしたらね

 

 

僕がわからないことを
延々と説明してくれたんですよ。

 

 

でも正直
僕はまったく理解できませんでした。

 

 

けどなんか
プライドだけはすごくあって
わかってるフリをしてました。

 

 

あーそうなのね
みたいに。

 

 

その時
すごい悔しかったんです。

 

 

いくら相手が
専門家とは言え

 

 

言われてることが
まったく理解できない。

 

 

これが僕としては
めちゃくちゃ悔しかったんです。

 

 

なので僕は
この道を目指そうと思いました。

 

 

おかしいでしょ?

 

 

治してもらったからとか

 

 

感銘を受けたとか

 

 

自分もやりたいとか

 

 

そんなんじゃ
ないんです。

 

 

先生に言われたことが
理解できなかった。

 

 

そんな自分が
すげー悔しかった。

 

 

これだけが

 

 

僕が柔道整復師を
目指した理由です。

 

 

やっぱり

 

 

人とは違ってるな…
自分は変わってるな…
とは思ってますよ。

 

 

でも本当に
悔しかったんですよ。

 

 

ぶっちゃけそれまでは
建築師を目指してました。

 

 

うちの親が建築やってたんで
跡を継ごうって思ってました。

 

 

でも
この出来事で

 

 

僕は一気に
方向転換しました。

 

 

高校3年の春でした。

 

 

でね建築やめて
柔道整復師になるって言ったんです。

 

 

そうしたら

 

 

親には
あきれられる…

 

 

学校の先生には
怒られる…

 

 

生活指導の先生には
呼び出される…

 

 

って
さんざんな感じでした。

 

 

今思えば
ここから

 

 

僕の波乱のは20代は
はじまったんですよ。

 

 

-山野井孝志

 

 

P.S:
臨床をやってて
今の現状、会社、上司に対して
1回でも悔しいと思った事がある君。

 

 

うちの会社への応募は
こちらから!

http://shogofujii.com/lp/parttime/

 

 

 

 

 

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